グローバル化(新自由主義)と感染症
2023/07/01
2023年5月8日以降、新型コロナウィルス感染症が第5類感染症相当に引き下げられました。
当初に心配されていたような感染拡大は見られず、重症化の確率は減少したものの感染力の強さはほぼ変わりないため、まだまだ注意が必要と考えられます。今回の新型コロナ感染症を振り返り、最近のグローバル化と感染症の関連性について考察しました。
新型コロナウィルス問題は、わたしたちの生活に大きなインパクトを与え、社会の脆さを改めて浮き彫りにしました。その脆い社会の根幹にあるのは何かといえば、グローバリズム(新自由主義)という一語に集約されると思います。グローバリズムとは、人やモノ、情報やお金が国境を越えて自由に移動するという理念を表しますが、ここにウィルスの感染を加えることになりました。パンデミックによって、あらゆるものがスピードを競って世界に拡散するグローバリズム化した社会においては、ウィルス感染も恐ろしい勢いで拡大することを目の当たりにしたからです。感染症と人類の戦いは今に始まったことではありません。古くは旧約聖書にも登場しています。14世紀のペスト、15世紀の梅毒、17~8世紀にかけては天然痘などです。近代でも結核やコレラなど様々な感染症と人類は格闘してきました。例えば、人類最初の感染症、「麻疹=はしか」は紀元前3000年にチグリス・ユーフラテス川流域のシュメールというところで流行があったという記録があり、それがローマ帝国に広がったのはその3200年後の紀元後200年、日本はさらに遅く西暦1000年ごろ、平安時代です。シュメールから日本に伝播するまで実に4000年もの年月がかかっています。しかし、現在は、1日あれば飛行機でほぼ世界中、どこの国にもアクセスでき、世界の距離が縮まりました。グローバル化は移動の自由と同時に、ウィルス伝播のスピードをも劇的に速めてしまったのです。
グローバル化は資本や技術も国境を越えて移動するようになりました。自由貿易、自由競争を前提に、あらゆる局面で市場競争が進み、規制緩和が推進された結果、医療や福祉、教育といった公共部門も利潤や効率主義にさらされ、弱体化してしまいました。それが今回の新型コロナ禍では、顕在化したのです。金融市場の不安定化をも招きました。その象徴が2008年のリーマンショックです。今回の経済危機は新型コロナウィルスが原因ということになっていますが、グローバリズムの限界がコロナ禍によって露わになり、最後のとどめを刺したというのが正しい認識ではないでしょうか。
人間は本来「ここまで行ったら行き過ぎだ」といったバランス感覚があるはずで、それを「常識」と呼びます。では「常識」とは何でしょうか?先のことは予測不能なので、昔からの積み重ねを拠り所としながら、変えるところは変えていく、それが知恵というものでした。新型コロナウィルスの流行が終息したら、以前のような生活に戻れるというのは楽観的過ぎると思います。しかし、今回の騒動で私たちのグローバル化された生活が、いかに異常であったかを感じている人は多いはずです。効率主義や過剰な情報文化は、私たちから余裕もゆとりも奪っていたことに気づいたからです。人と人が顔を合わせてゆっくり話す日常的な余裕がなければ、私たちの「常識」などは消えてしまいます。アフターコロナの「常識」を構築するのはこれからの大きな宿題と言えるでしょう。そして、グローバリズムに邁進してきた文明の転機となる可能性があるでしょう。
Y.M(たつの市)