医療と「初心忘るべからず」について
2015/11/30
この間、古い(2011年)の雑誌をぱらぱらとめくっていたら、当時の金沢大学副学長 古川 仭先生の上記の題目の寄稿が目に付いた。
先生は、大学時代に能楽クラブに所属され、能の大成者、世阿弥 元清が子孫への庭訓として父観阿弥の教えを忠実に整理記述した能の伝書である『風姿花伝』や世阿弥の晩年の書である『花鏡』などを読んだとき、『花鏡』の中に「初心忘るべからず」を見つけられたようで、最近、言葉の変化の中で、格言の意味さえも本来の意味と変わってきていると嘆かれた上で、今日では、「初心忘るべからず」の「初心」は「物事を始めるスタートに立てた目標や志、その時に立てた思い」という意味で、「初心」を「初期の志」と同じ意味にとらえているが、それは大きな間違いである。その結果、「初心忘るべからず」はそもそもの意味とは違って解釈されている。「初心」とは「初心者の初心」、つまり、まだ物事を始めたばかりで未熟で慣れない状態のことを指す。したがって、この格言の意味は「物事を始めたころの未熟で失敗ばかりであった時の記憶―その時に味わった屈辱やくやしさ、そこを切り抜けるために要した様々な努力など、をわすれてはならない」という意味である。これはある程度その道をたどったものが自らの中の中だるみ、慣れによって生まれる慢心を戒めるために使うのが正しい。原著では、「ぜひとも初心忘るべからず、時々の初心忘るべからず、老後の初心忘るべからず」と記載されている。修業を始めたころの初心を忘れてはならない。修業の各段階ごとに、各々の時期の初心を忘れてはならない。老境に入った時もその老境の初心を忘れてはならないの意味である。さて、医学についてこの格言を当てはめてみると、医学は日進月歩の世界である。次から次へと新しい医療、先進医療、最新の医療機器が開発されてくる。有限の命と無限の時間の中で、それを習得し常に自己を高める過程においては、未だ習得しきれないもの、必ず経験の浅いものとの遭遇は避けて通れない。つまり医療人にとって万事が初心であり、それを乗り越えるための勉強、研修を積み重ねていくだけで人の生は終わりを告げるのである。「命に終わりあり、医療に果てあるべからず」である。であるから、初心を忘れてはいけないのである。初心を忘れれば初心に戻るからである。今の自分が初心のころ味わった多くの苦しみと長き努力の上にあることを忘れれば、日々の努力をも怠るようになる。また初心の試行錯誤を忘れれば、壁にぶつかった時、初心のころのような塗炭の境遇を再び味わうことになる。医療を問わず、全てのものごとには常にあらゆる段階に初心は存在するものなのである。その意味で、「初心」とは決して戻ってはいけない場所であり、忘れてはならないのだ。と、結ばれている。